一応、ドラマのあらすじはコチラ→公式サイト
「すべてを失っている」と言うキャッチコピーに、微妙だなぁと思う。
「すべて」しか書きようがないのかな。
ニュースにちょっと映像が出るだけで、涙があふれるときもあるワタシには・・・。
キツい。
辛い。
辛い。辛い。辛い。
ってことで脱落しました。
風化させてはいけない。
伝えていかなければいけない。
そんなことを言うのは簡単ですが、伝え方もわからない。
ましてや思い出すと辛い・・・。
年々辛くなっています。
だから、戦争体験を話してくださる方は凄いのだと納得。
今も関西在住ですが、被害が少なかった地域にいます。
すると「震災体験を話して」なんて言われることも多いんですが・・・。
実際、震災のときの話を始めたら、「不幸自慢か!」と笑いながら突っ込まれたことがあって、二度と話さないって思ったんですよ。
ほぼ四半世紀の時間が流れても、復興したと言いたいくない。
言いたくない・・・っていうか、言えない。
失ったものが元にもどることはなく、あの日からずっと辛い出来事です。
思い出しただけで、映像を見ただけで、鼻の奥がツーンとしてくる。
震災時、奥村組さんのように大会社でしかなしえなかったお仕事。
ボランティアの方がしてくださったこと。
あのとき、ワタシは自分の生活に精一杯で、テレビも新聞も見ることもできず過ごしていたけれど、知らず知らずのうちにたくさんの方にお世話になっていたのだと思う。
中にいたからこそ知らなかったこと、見えなかったことがたくさんある。
新聞や資料を読まなければと思うのですが、まだ時間がかかりそうです。
いつか、こんなドラマを見ることができるようになれば良いなぁと思いました。
匿名さんにこのドラマの感想を楽しみにしているとメッセージをいただいたのですが、見ることは出来ませんでした。
ザツブンとして記事を書きましたが、ご期待に添えず申し訳ありません。
コメント
こんばんは。
僕も当時、被災地である神戸の近くに住んでいました。
関西人です。
年齢がバレちゃいますが、震災当時は高校生でした。
被災地と比べれば被害は小さくて済みましたが、それでも家の外に置いていたものは全て飛ばされたり転倒したりしていましたし、地元の電車も全てストップしていました。
それまで見たこともないような光景が広がっていて、当時はまだ高校生ながらゾッとしたのを覚えています。
余震も何度かありましたし、生まれて初めて”死”というものを身近に感じました。
ですが、被災地である神戸はおそらくもっと酷い状況だったんでしょうね。
ドラマですが、僕も脱落してしまって、見ることが出来ませんでした。
とにかく映像を直視することが出来ないんですね。
なのでドラマの感想は僕も書けません。
masaさん、こんにちは
コメントありがとうございます。
関西の方だったんですね。
あのときは大変でしたね。
代替運転をつかわずに大阪にいくには初夏をすぎていたように思います。
余震に慣れていくのも今思えば怖いことでした。
平成の大災害の始まりでした。
今では当たり前のことが当たり前でなかった時代。
法律も変えたし、危機意識も変わった震災。
忘れることはできませんが、思い出すのは苦痛です。